寝具革命
合繊わたによる「寝具革命」
太平洋戦争終結後、驚異的な復興を遂げたわが国は高度経済成長期を迎え、国民生活も豊かさを増していった。寝具業界も大きく躍進していたが、その契機となったのは、1958(昭和33)年に旧・西川産業が業界に先駆けて開発した「合繊わた」であった。
アクリルとポリエステルでできたわたは軽くて温かく、ふとんの打ち直しを必要としない画期的な寝具を生み出したのである。旧・西川産業は、この合繊わたを使った洋ふとんを売り出し、「寝具革命」と絶賛された。
合繊わたによって和ふとんから洋ふとんへと大きく転換し、1970年には、ドイツの企業と提携して長繊維ポリエステルわたの新合繊「ファロン」を開発した。ファロンは、わたぼこりが出ず、圧縮してもすぐに回復する画期的なふとんとして、圧倒的な優位性をもって浸透していった。1971年には、紫色の寝具に寝ると病気が治癒しやすいとのいわれから「紫ふとん」ブームも巻き起こり、寝具業界は活況を呈した。
日本初のチェーンを結成
高度経済成長下の1960年代後半になると、流通・小売業界では、スーパーマーケットが急成長して価格競争が激化した。危機感を募らせた小売店や専門店は、ボランタリーチェーンを結成するようになる。
先駆けとなったのは、寝具販売活発化の機を捉えて結成した「西川チェーン」であった。旧・西川産業は1960(昭和35)年に、有力取引店の親睦団体「西川会」を母体にして日本初のボランタリーチェーンとなる「西川チェーン」を設立し、民主的運営と加盟店繁栄の援助を柱にチェーン展開を開始したのである。
通商産業省(現・経済産業省)もボランタリーチェーンの育成を打ち出し、1966年に日本ボランタリーチェーン協会が結成された。旧・西川産業は、有力メンバーとして模範的・指導的立場で発足時から加わり、後に14代目西川甚五郎が名誉会長に任命されて、協会の発展に貢献した。
全国組織となったチェーン加盟店に対して、旧・西川産業は、店舗の営業力強化や販売促進、情報ネットワークによる販売活動の支援に取り組み、強固なパートナーシップを築いていった。その後、量販店の拡大や通信販売の普及、ネット通販の急成長で小売市場は大きく様変わりした。
しかし、高品質な商品提供に力を入れる旧・西川産業は、顧客との信頼関係が築ける寝具専門店のチェーンを、眠りのニーズにきめ細かく対応するパーソナルフィッティングの拠点に位置づけて販売戦略を展開し、旧・西川産業独自の価値を提供し続けている。
2020年3月、東京西川チェーン専門店部会と大阪西川チェーン会を統合した。
経済の成熟化にともない“羽毛ふとんブーム”が巻き起こる
1980年代に入ると経済と国民生活は成熟化し、高品質な商品が注目されるようになる。その波は、寝装・寝具業界にも押し寄せた。健康志向の高まりとも相まって“羽毛ふとんブーム”が起こり、バブル景気も重なって、1994(平成6)年には919万2,000枚を販売し、ピークに達した。しかしその後、バブル崩壊とデフレ経済によって市場は価格競争に陥り、安価な輸入品の羽毛ふとんが主流を占めるようになる。そのような状況にあっても旧・西川産業は、製造部門である西川レベックス(旧・安眠工業)が1982(昭和57)年に導入した独自の羽毛洗浄ラインと、羽毛製品の本格的な自社生産によって品質にこだわり続け、羽毛ふとんの価値向上を図った。そして普及率が高まってからは、羽毛ふとんのリフォームなど、アフターケアの充実に努めている。